村上春樹「1Q84」を読む。|2022/08/18 日記
(村上春樹氏が好きな方は気分を害される可能性があります。悪意はありませんがご注意ください。)
村上春樹。
当然ながら名前は知っていたし、数作品の題名も知っている。
しかしどうも読む気になれなかった。
理由は高校時代、「ノルウェイの森」を少し読んで、面白くないと感じたからだろう。
それからなんとなく手を出せないでいたのだが、前日記の通り、私は暇である。
積読が得意な父にお勧めの本を貸してほしいと頼んだところ、「1Q84」を貰った。
簡単にあらすじを紹介すると、
スポーツインストラクターの傍ら、暗殺業を営む「青豆」と、予備校の講師として数学を教える「天吾」が、現世界とは少し異なる「1Q84」年に入り込み、宗教団体「さきがけ」の問題に巻き込まれていく。というものである。
私が「ノルウェイの森」を読んだ際にも感じたことであるが、
この主人公たちは感情が落ち着いている。
これは私がいつもは東野圭吾氏や伊坂幸太郎氏のような、サスペンス等の作品を読んでいるのが要因であるかもしれないが、
例えば知人が殺されても、声を荒げることはない。
焦っていても、読者側も息が詰まるような短文を繰り返す用法は使わない。
文章全体として、ハプニングが少なく、起伏が緩やかなのだ。
私が「ノルウェイの森」を読んだ際、友人に送った感想は
「主人公を直接ではなく、すりガラスを通じて見ているよう」というものだった。
しかし、現実世界でもそうではないか。
自身が怒っているとき、「私は怒っている」などと頭の中で考えるだろうか?
もう一つ、「主人公が一人で考える時間が長い」という特徴がある。
基本小説というのは、人物同士の会話で進むものが多い。
しかし、村上作品の主人公は一人である時間が多く、長く独考し、一人で行動する。
これら二つから、「村上作品は非常に自然である」と感じた。
我々は我々の感情を、その時点では明確化していない。
また、我々は自分一人で考えている時間が非常に長い。
他人と会話することはあっても、多くの時間が自身の、脳内で完結する。
だからこそ「1Q84年」という設定であっても、リアリティがあり、不気味さが増す。
これまで敬遠していた村上作品だが、これからは進んで読もうと思う。
個人的には「海辺のカフカ」が惹かれる。
カフカという言葉が好きなのだ。好きな曲に「カフカなる群青へ」という曲もある。
意味は知らないが、「哲学的修行の後の自由」というような気がする。
「ノルウェイの森」も読み返してみよう。新たな発見があるかもしれない。