少ない、を愉しむ。

ミニマルな部屋で穏やかに暮らす。

ミニマリストが正解の人は少ない。ただ、一度でも少ないモノで暮らす経験をしてほしい。

最近、交流会で知り合った方が「ミニマリストを辞める」という旨のツイートをしていた。

私はミニマリストなだけで、関係者でも何でもないのだが、悲しい気持ちが拭えなかった。

共通の趣味を失ってしまったような気分だ。

 

このようなミニマリスト辞めます」的なツイート・動画を見ると、ミニマリストの意味が狭義化しているのではないかと思う。(狭義化=その言葉が表す意味が狭く限定されている)

 

テレビやYouTube・書籍などで有名になるミニマリストはどうしても、モノの少なさにこだわり、娯楽のためのものも減らすような方が多い。

(ここではこのようなミニマリストを「究極ミニマリスト」とする。)

その方がインパクトが強く、人を惹きつけやすいからだ。

 

しかし究極ミニマリストのライフスタイルが正解である人は少ない。

やはりモノを買う・集める・持つことは刺激的であり、魅力的である。

 

モノを買うことが好きな人にとって、ミニマリストでいることは我慢の連続だ。

「これ欲しいなぁ,,,けど、部屋すっきりとしたいしなぁ」などと。

 
 
モノを持つことは悪ではない。
自分に必要なもの、楽しませてくれるようなものを持つことは良いことだと思う。
 
逆に、モノを減らし続けることが正解でもない。
それによって生活が不便になりすぎたり、楽しみがなくなっては本末転倒だろう。
 
ただ、「モノを増やし続けること」が不適切なのだ。
アメリカンドリームのように、大きな家に入りきらないほどのモノを抱えて、
モノに煩わされ、その多さに辟易しながら、もっと広い家を欲しがる。
その行きつく先は虚しい。
 
 
ミニマリストを辞めた方にとって、ミニマルライフは無駄だったのだろうか?
きっとそうではない。
 
現代で生きていると、モノが足りない・少ないという経験をすることがない。
だから少ないモノで暮らすことの良さを知らず、モノを増やし続けていく。
 
過去、文明開化が起こる前などは、きっと皆がその良さを知っていたはずだ。
・欲しいものがあったとしても、生産が間に合わず手に入らない。
・手に入ったとしても高価なものだから多くは持てず、よって一つ一つの買い物をよく   考えて行う。
スマホやパソコンなどの娯楽がないため、暇な時間が長い。
だからこそ心の中に幸せを求め、真の幸せを求める宗教や瞑想などが生まれたのだ。
 
宗教とミニマルライフは似ている。
・世間の流れとは違うことを推奨される。
・修行のように、物欲に耐えなければならない。
・未だ主流のライフスタイルではないため、交流会などのコミュニティが存在する。
 
だからミニマリストを「怪しい」「宗教っぽい」「騙されるんじゃないか」と思う方もいるが、高額な壺を買わされるわけでもなく、お金を払う必要もなく、いつでもやめていいなどという宗教があるだろうか?
 
 
全人類に、ミニマルライフの良さを知ってほしい。
ずっとそうして過ごす必要はない。
ただ、一度でも少ないモノで暮らす経験をすれば、その生活をやめた後も
「これは本当に必要なものだろうか」と考えられるようになる。
それは、どんなに高額な買い物よりも素晴らしいものであるはずだ。