憧れの自分になるために/「007 No Time to Die」
先日から1か月弱、AmazonPrimeに加入していた。
PrimeVideoで、「フォレストガンプ」や「きっと、うまくいく」などの名作映画、
「ウマ娘」も全話見て、「ポケモン映画を全部見る」という長年の夢も叶えることができた。
いちいち借りに行ったりしなくていいから、「映画を見る」ということのハードルがぐんと下がった。
その分、映画作品への「ありがたみ」を忘れがちになるので、月に一度くらいは映画館へ行くことにしている。
他にも見た映画は様々、40作ほど見たと思うが、
最も心に残ったのはやはり
「007 No Time to Die」であった。
私は007シリーズ、並びにジェームスボンドが大好きである。
このNo Time to Dieも、公開初日に見に行った。
今回二度目の視聴であったが、やはり全身鳥肌が立ち、涙を流しながらEDを迎えた。
この作品の表すものは様々あるが、1つには「『カッコいい男』の変化」を表していると感じた。
現代の「カッコいい男」のイメージは、清潔感・中性的・色白 などがある。
大半の女性は当然のようにそのような男性を憧れの対象とするし、男性は女性にモテるためにそういう男性を目指す。
だが、私は個人的に、それよりもカッコいい男性像があると思う。
それがダニエルクレイグのような男性だ。
ハリウッドのスターなのだから、カッコよくて当然なのだが、
この方の特徴は「年を取ってからがカッコいい」ことにある。
おそらく、「若さを象徴する傷やシワの無い清潔な顔」よりも、
「今までの苦労を表す、シワや傷のある顔」の方が好きなのだ。
私も早くそういう顔になりたい、歳を取りたい、などと
まだまだ子ども扱いされる少年のような思いから抜け出せないでいる。
「私の憧れる私」というのは、
『車や時計などへのこだわりはあるが、こまごまとした物欲からは解放されていて、
YouTubeやSNSに時間を取られず、愛する人との時間を大切にする』ような人なのに、
物欲が完全に消えることはないし、気づけばYouTubeを見てしまう。
憧れと現実の乖離に、ふとした瞬間に辟易とする。
とくに、落ち着いて音楽を聴いている時などにその思いが沸いてきて、心をかき乱す。
↓最も好きで落ち着く曲。
しかし思えば、憧れとはそういうものなのだろう。
無欲な存在に憧れながら物欲に左右される。しかしこれでも以前に比べると物欲は相当減った。
これからも物欲に左右され、車や時計、家具などを買う。
しかしそれは段々と減っていく。
それに伴って、心の波は治まっていく。
その時わたしはきっと、自分が憧れの自分になっていることに気付くのだろう。