『ロマンとは、それにいくら思い出を詰められるか』1104日記
6時46分起床。
父が仕事に出かける音で目が覚めた。
毎日遅くまでお酒を飲んだりテレビを見ているのに、睡眠時間はどうなっているのか。
二度寝しようと思っても寝れない。
やはり2週間後の面接がかなりのプレッシャーになっているらしい。
昨日の記事にて、朝4時起床→献血で頭がクラクラすると言っていたが、
実は昨日夜1時くらいまで父親と話していた。
いま家にある車がそろそろ10年になり、色々と不調が出てきた。
昨日も両親が出かけようと発信すると「STOP!」と表示されたそうだ。
そこで車の買い替えの話が出てきた。
話し合いの結果、少々高いものの、結果的には父が提示したものでいいんじゃない?となった。
そこからその他さまざまな車の話をした。
性能的には必要十分な車はたくさんある。
しかし、今の車には「ロマン」を感じられるものが少ない、という。
「ロマン」という言葉はたくさん聞いたことがある。
人が自分の趣味の魅力を語るときによく使う言葉だ。
ちょっと使いにくかったり完璧ではないんだけど、どこか愛らしいモノ、という印象。
昨日の父は、「ロマンとは、それにいくら思い出を詰められるか」と語っていた。
バイクでコケた時に足を守ってくれた革靴。
そういったものにロマンを感じる。
そしてこの(買いたい)車にはそれがあるのだ、と。
スマホは数年で新しい機種が出る。10年も長く使われるように作られていない。
その妥協が使い手になんとなく伝わるのだろう。
私は、重いものが嫌いだ。
鞄は500g以下、靴は片方300g以下と、重さでルール作りするくらい嫌いだ。
なぜならそれが少しでも重いというだけで、どれだけ機動性を失うかを知っているからだ。
だから革靴や革の鞄など、耐久性のために軽さを犠牲にしているものは持ちたくない。
しかし腕時計のように耐久性があってもそれほど重くならない、そんなものならいいかもしれない。
なによりも
昔はあれほど遠く大きく、届かないように思っていた父と、
今は肩を並べて話せることが本当に嬉しかった。